新横綱・照ノ富士の昇進場所優勝をかき消すように9月場所千秋楽翌日に横綱・白鵬の「電撃引退」が報じられた。史上最多となる45回の幕内最高優勝を誇る白鵬だが、引退後の“処遇”を巡っては日本相撲協会との暗闘が繰り広げられていた。
JR博多駅から快速電車で20分の最寄り駅で下り、歩いて3分ほどの場所にあるのが、県内有数の“パワースポット”として知られる高野山真言宗別格本山・南蔵院(福岡県糟屋郡篠栗町)だ。境内には、ブロンズ製では世界最大級となる全長41m、高さ11mの「釈迦涅槃像」が横たわる。
この南蔵院の林覚乗住職は、9月場所後に引退した横綱・白鵬が所属する宮城野部屋の九州後援会名誉会長であり、大相撲九州場所の維持員で組織される「九州溜会会長」を務めた“大物支援者”である。例年11月の九州場所では、同院が宮城野部屋に宿舎を提供するなど、長年にわたって白鵬の力士生活を支えてきた。
その林住職が、白鵬の電撃引退が報じられた翌日、本誌の直撃に重い口を開いた。
「あれだけの功績を残した横綱ですよ。過去、20回以上優勝した横綱には『一代年寄』が与えられているのに、唐突に有識者会議から“一代年寄という制度を認める根拠がない”などという提言書が出てくるのはどうかと思いますね。あの提言書を知り合いの弁護士に見せたら、人種差別だと言っていました。(白鵬が)もし日本出身の横綱なら、(一代年寄を)与えたと思いますよ。協会はあのような組織なので、与えないと決めたら与えないと思いますが……」
9月29日に引退届を提出した白鵬。翌30日には、年寄「間垣」の襲名が承認され、今後は「間垣親方」として後進の指導にあたると発表された。
林住職が口にした「一代年寄」とは、こうして年寄名跡を襲名して親方になるのではなく、現役時代の四股名のまま、「白鵬親方」として日本相撲協会に残ることを指す。功績著しい横綱にのみ認められてきたもので、大鵬(優勝32回)、北の湖(同24回)、貴乃花(同22回)が一代年寄となった(優勝31回の千代の富士は辞退して「九重」を襲名)。
優勝45回の白鵬は“有資格者”のはずだが、休場が続く白鵬の引退が近いと囁かれていた今年4月、協会の設置した「大相撲の継承発展を考える有識者会議」が八角理事長(元横綱・北勝海)に提出した「提言書」で流れは大きく変わった。そこに〈一代年寄の名乗りを認める根拠を見出せない〉と明記されていたのだ。
有識者会議は2017年に当時の横綱・日馬富士が暴行事件を起こすなどの不祥事が続いたことを受け、2019年に設置された。提言書では外国出身力士に不祥事が多いため、指導監督の強化が必要といった話が展開されたあと、唐突に「一代年寄の制度不備」の話が登場し、〈協会の定款などにも根拠となる規定はない〉〈公益財団法人としての制度的な裏付けとは整合しない〉などと指摘している。
「白鵬の引退が近いことを見計らったようなタイミングでの発表だった。品格面が問題視されることが多く、“一代年寄に値しない”という意見が協会執行部を中心に根強くあったが、提言書はそうした意向を後押しするものとなった」(担当記者)
この提言書により、白鵬の悲願とされた一代年寄は絶望的になった。
実は、白鵬の引退直前、関係者の間で「九州溜会の会長が提言書の内容について八角理事長に異論を述べ、逆鱗に触れて会長を交代させられた」という情報が囁かれていた。
本誌が林住職に真偽を問うと、会長を退いたことを認め、協会との間で何があったかを告白した──。
ニュースポストセブン
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【大相撲】大横綱”白鵬”の記憶に残る立ち合いは朝青龍戦の金星と連勝記録目指し敗れた稀勢の里戦
現役を引退した大相撲の横綱白鵬(宮城野)が1日、都内で引退会見に臨んだ。約20年の現役生活の中で、記憶に残る取組を2つ挙げた。
記憶に残る取組について1つ、という質問には「たくさんありますけど、私は1つ選べません。2つ選びたいと思います」と答えた。
一つ目は、入幕を果たし、初めて当時全盛期にあった横綱朝青龍を撃破して金星を得た一番。「上がってきて、上位で壁に当たった時。最初で最初の金星は横綱朝青龍関に勝った一番」と振り返った。白鵬は番付を早く駆け上がったため、平幕力士が横綱を破った時に記録される金星はこの1つだけだった。
そして、自身が双葉山が持つ69連勝の各界記録に挑んだ際に、夢を阻まれた稀勢の里との一番を「何と言っても、双葉山関の69連勝(を目指した)時に負けた稀勢の里関だと思います」と挙げた。
2010年の九州場所の2日目に、稀勢の里に敗れた後、白鵬は「これが、負けか」と報道陣の前で口にしたことも話題になった。「あの負けがあるからここまで来れたと思います」、「その一番があるからこそ、63連勝にふさわしい相撲を、恥ずかしくない相撲をとらなきゃいけないという思いでここまでこれたのかなと思います」と、その後10年以上の横綱としての土俵生活の糧になったと語った。
デイリー
https://news.yahoo.co.jp/articles/0786eaf360b45c9e6387bb9f0f873a614bcd8b2a
【大相撲】ありがとう!大横綱 白鵬関! 引退会見で語った引退決断の時期と理由は?
元大関・琴欧洲には白鵬の35勝10敗。白鵬の横綱昇進後は白鵬の25勝6敗。 元大関・琴光喜には白鵬の23勝9敗(不戦勝1含む)。白鵬の横綱昇進後は白鵬の13勝4敗(不戦勝1含む)。 元大関・把瑠都には白鵬の25勝3敗。白鵬の大関在位中は白鵬の3戦全勝。白鵬の横綱昇進後は白鵬の22勝3敗。 元大関・琴奨菊には白鵬 287キロバイト (46,670 語) - 2021年10月1日 (金) 07:13 |
NHK 2021年10月1日 15時25分
30日に現役を引退した元横綱 白鵬の間垣親方の現役引退の記者会見が、午後3時から東京 両国の国技館で開かれています。白鵬が引退してから公の場で話すのは、この会見が初めてです。
引退を決断した理由や今後、親方としてどのように後進を指導していくのかなど会見での発言を随時更新してお伝えします。
会見 詳細
【冒頭】
師匠の宮城野親方が、引退した白鵬について「後進の指導にあたってしっかりと協会のために頑張ってくれると思います。多くの力士を育て上げて皆様方に貢献出来るように頑張っていく所存ですので、これからもよろしくお願いします」と話しました。
白鵬は会見の冒頭であいさつし「本日は足元が悪い中、お集まりいただき本当にありがとうございます。白鵬改め、年寄『間垣』を襲名し、後進の指導にあたります。20年の現役中は大変お世話になりました。活躍の場を与えてくれた日本相撲協会に感謝申し上げます」と述べました。
【名古屋場所10日目に決断】
白鵬は引退を決断した時期について
「進退をかけた名古屋場所でひざが言うこときかず、ふた桁勝利が目標だった。10勝をあげた10日目で親方などに引退することを伝えた」
と話しました。
【「迷いはなかった」】
引退の決断に迷いはなかったかという質問に対して白鵬は「迷いはなかったと思います。やっぱりひざのことを思えばなかったと思います」と話しました。
そのうえで家族に引退を伝えたときの状況については「子どもたちから頑張って欲しいという声はありました。母に電話したときは『よく頑張った。身体が大事ですから』ということでした」と述べました。
【本当に相撲が大好き】
白鵬はおよそ20年の現役生活を振り返って「早いような感じがします。本当に相撲が大好きで幸せ者だなと思います」と述べました。
相撲界への第一歩について「師匠が私に声かけてくれたおかげで今があると思うので、この場を借りて師匠に感謝します」と述べました。
そして、唇をかみしめながら「感謝の気持ちと今後、師匠のもとで親方として一から勉強します」と述べました。
【親方にほめてもらいたい一心で稽古】
白鵬は師匠の宮城野親方について「師匠は優しくて本当に感謝してますし、親方にほめてもらいたい一心で稽古に励んでいました。その思いが関取、大関、横綱に昇進することにつながりました」と述べました。
また、準備運動に時間をかける稽古については「体が細かったので大きくしないといけないという思いと師匠の考えがありました」と話しました。
【一つ一つの積み重ねの結果】
白鵬は現役中に掲げていた目標について「大相撲に入るときは横綱になりたいという夢があったが、45回優勝したいという思いはありませんでした。一つ一つの積み重ねがこの結果につながったと思います。師匠の稽古、その基本の大切さを守ってきたことが、勝利につながったのかなと思います」と話しました。
横綱としての地位の重みについては「大鵬親方に『横綱の宿命の中で頑張らないといけない、負けたら引退』とことばをかけられました。昭和の大横綱のことばは重かったです」と話しました。
【6場所休場し大変思うものあった】
白鵬は大鵬親方から「負けたら引退」と言葉をかけられたことについて「6場所休場したときには、大変思うものがありました」と述べました。
【白鵬とは】
白鵬は進退をかける意向を示して出場した名古屋場所で、史上最多を更新する45回目の優勝を全勝で果たしながらも引退を決断しました。
白鵬は15歳で宮城野部屋に入門し、平成19年夏場所後に第69代横綱に昇進しました。
通算の勝ち星は1187勝、優勝回数45回、横綱在位はおよそ14年にわたる84場所で、いずれも史上最多を記録し、現役生活およそ20年で大相撲の記録を次々と塗り替えました。
日本相撲協会は30日の理事会で、横綱 白鵬の引退と年寄「間垣」の襲名を承認しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211001/k10013258161000.html
(出典 i.imgur.com)
【前代未聞】そこまでするの!?白鵬に誓約書 協会の不信感あらわ
※2021/9/30 20:21
30日の白鵬の年寄襲名は前代未聞の事態だ。白鵬が親方になるために日本相撲協会が求めたのは、先輩の指導に従い、相撲界の習わしを守っていくという誓約書の提出。土俵内外で品格を問われ続けた白鵬に対し、協会が抱く不信感と危機感があらわになった形だ。
優勝45回の大横綱の言動には目に余るものも多かった。肘打ちのようなかち上げ、ビンタのような張り手は粗野で、審判の判定を公然と批判する姿も見苦しかった。土俵内で残した実績は他の追随を許さないものの、品格を問われて仕方がない面は多々あった。
白鵬には協会幹部や横綱審議委員会が苦言を繰り返してきたが、言動に劇的な改善はみられなかった。親方になっても周囲の忠告に耳を傾けず、相撲界を継承していく力士を育成されてしまえば、よき伝統が破壊されるとの懸念を抱かれてもおかしくない。
白鵬が相撲と日本を愛していることに疑いの余地はない。
続きは↓
産経ニュース: 前代未聞の誓約書 白鵬に相撲協会の不信感あらわ.
https://www.sankei.com/article/20210930-KUFZ45BVMBPNLBV4FK3MHRNPPI/
【相撲】ありがとう白鵬!現役引退と年寄「間垣」襲名を承認!日本相撲協会
9/30(木) 17:25
スポーツ報知
白鵬、現役引退と年寄「間垣」襲名を承認…日本相撲協会
白鵬
日本相撲協会は30日、東京・両国国技館で定例理事会を開き、横綱・白鵬(36)=宮城野=の現役引退と年寄「間垣」襲名を承認した。白鵬は秋場所後の27日に協会に引退の意向を伝えており、29日に引退届けを提出。この日の理事会で受理された。今後は宮城野部屋付きの「間垣親方」として、後進の指導にあたる。
白鵬は、6場所連続休場あけとなった7月の名古屋場所で全勝優勝。翌秋場所は場所直前に部屋の力士に新型コロナウイルス感染者が出た影響で、全休した。右膝には古傷を抱え、春に手術。名古屋場所の優勝インタビューで自ら「右膝がもうボロボロで、言うことを聞かなかった」と語るほどだった。「横綱900勝」まであと1勝としていたことから現役続行への意欲も示していたが、名古屋を最後に引退の決断に至った。
2000年10月に、角界入りを夢見て15歳で来日。当時175センチ、68キロの細い体で宮城野部屋に入門した。01年春場所で初土俵。猛稽古に耐え、次第に頭角を現した。04年初場所で新十両。同年夏場所に新入幕。06年春場所後には、昭和以降4位の21歳0か月の若さで大関昇進を果たした。07年夏場所後には、22歳2か月の史上3位の年少記録で横綱になった。
これまでに打ち立てた記録は数知れず。10年春〜11年技量審査場所では史上最多タイの7連覇。10年には、史上2位タイの63連勝も記録した。横綱在位84場所で、優勝は45度。近年ではケガの影響で休場も目立ったが、新横綱から722回連続出場も史上最多。全勝優勝は16回を誇り、幕内では51場所連続で2桁白星を挙げた。
かち上げなどの取り口や土俵態度で物議を醸すこともあった横綱だが、相撲への情熱と思う気持ちは随一。角界への恩返しとして始めた「白鵬杯 世界少年相撲大会」は、10回を数える。「とにかく相撲が好きなんです」と、土俵と向き合った21年間の力士人生。最強横綱は今後親方として、新たなスタートを切る。
(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d3b26df03fe5fd29c7a042541c18569bfe9d05bf