星野 敬太郎(ほしの けいたろう、1969年8月14日 - 2021年10月9日)は、日本の元プロボクサー。神奈川県横浜市出身。元WBA世界ミニマム級王者。現役時代は花形ボクシングジム所属。武相高校卒業。入場曲はディープ・パープルの“smoke on the water”。
11キロバイト (1,553 語) - 2021年10月9日 (土) 17:38



(出典 www7a.biglobe.ne.jp)



1 Anonymous ★ :2021/10/10(日) 00:12:58.00

https://news.yahoo.co.jp/articles/b9755a6d4ab7ee9ff1f2ac66f3bb2ca7ab9dba20

ボクシング元WBA世界ミニマム級王者の星野敬太郎さんが9日、死去した。52歳だった。師匠となる花形ジムの花形進会長(74)が同日、明かしたもので、沖縄県内の自宅で亡くなった。死因は不明だが、関係者によると闘病していたという。元WBA世界フライ級王者の同会長と国内初となる「師弟世界王者」となり話題になった。現役引退後、岐阜・各務原市でコパン星野敬太郎ジムを設立。後進を指導していたものの、18年ごろからボクシング界を離れ、沖縄県に在住していた。

神奈川・横浜市出身の星野さんは武相高3年の高校総体モスキート(ピン)級で3位に入るなどアマチュア時代から活躍。88年11月3日、花形ジムでプロデビュー。この初戦で4回判定負けを喫しながらも、2戦目で勝利後して引退宣言。約2年半後に現役復帰し、96年8月、日本ミニマム級王座獲得した。同王座の5度防衛した98年に王座返上と引退を表明。しかし1年後に再起し、00年12月にガンボア小泉を下し、WBA世界同級王座を奪取した。

01年4月の初防衛戦でチャナ・ポーパオイン(タイ)に敗れて引退表明も、直後に撤回して3度目の再起を果たすと、02年1月に空位だったWBA同級王座を懸けてガンボアと決定戦で再戦。判定勝利し、王座返り咲きに成功した。ノエル・アランブレット(ベネズエラ)との初防衛戦に敗れた後も引退表明→現役復帰を繰り返したが、03年にWBC世界同級王者ホセ・アントニオ・アギーレ(メキシコ)に12回KO負けを喫した後、初めて日本ボクシングコミッションに引退届を提出し、ついにグローブを置いた。

ボクサーとして引退表明を4度撤回する一方、リング外では現役時代に横浜市のとんかつ店「美とん・さくらい」で料理長を務め、自身が考案したチャンピオン丼が3000食を突破する大ヒットを飛ばした。リング外も話題豊富な世界王者だった。

◆元WBA世界フライ級王者の花形ジム花形進会長の話 急なことでびっくりした。ジムを閉めてからは連絡もなく、何年も話してない。やはり世界王者になったことが一番の思い出。ジム初でうれしかった。気分屋なところがあり、それで何度も引退、復帰を繰り返した。もう少し辛抱すれば、運も回ってきたし、もっと勝てた。それにしても52歳はちょっと早すぎる。


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