中田翔の移籍はVIP待遇か
中田翔選手が日本ハムから巨人に移籍して1か月が経った。同僚への暴力行為から無期限出場停止となり、その9日後に巨人への無償トレードが発表。日本中で賛否両論の意見が飛び交うなか、移籍2日後には先発出場し、移籍後初本塁打を放つ活躍をみせた。しかしその後は打撃が1割台に低迷。9月11日に登録を抹消され、現在は2軍での調整が続いている。
新天地で再起を図った中田選手は、今のところ躍動できていない状態である。しかし、そもそも事件を起こして事実上の解雇となった選手が他球団でプレーできていること自体、かなりのVIP待遇であるとプロ野球関係者は口を揃える。スポーツ紙の野球担当記者に聞いた。
「ドラフト1位入団、日本代表の4番を任されたことのある大物だからこそ、問題を起こしても他球団、それも巨人への移籍ができた。これはもう、破格の待遇だよ。並の選手なら解雇となっていた可能性も高いだろう」
不祥事を起こして消えてゆく選手
この記者によれば、不祥事が表沙汰にならずファンにも記者に気づかれず、人知れず消えるように球界を去っていく者は珍しくないという。
「成績を残せなきゃクビになるのは、この世界の鉄則。だけど、それ以外の理由でユニフォームを脱ぐケースは意外に多い。私がこれまで見てきた中で実際にあったケースは、後輩を指導と称して殴ったり、同僚や先輩の財布からカネを盗んだりした素行不良タイプだけじゃない。
何度指導しても朝起きられなくて練習にいつも遅刻したり、時間を守れなくて解雇されたのもいたし、プロの生活に馴染めなくてノイローゼになり、親が球団に『もうウチの息子は無理だからヤメさせてくれ』って駆け込んできたのもいた」
窃盗現場を選手が撮影
この記者によれば、窃盗騒動と暴力事件はさして珍しいことではないとも。
「数年前、とある球団に育成契約で入団した選手が窃盗事件を起こした。その選手は毎日のようにパ*屋に通っていて、選手たちの間で『あいつ、よくカネが続くな』と噂されるくらいだったんだとか。
だがその頃、選手たちの間でもう一つ話題になっていることがあった。それは財布からカネが減っていることが多々あると。そこである選手が寮の部屋に携帯のカメラをビデオにして食事に出かけたところ、例のパ*好きな選手が部屋に入ってきてカネを抜いているのがバッチリ映っていたというんだ」
その後、この一件は球団の知るところとなり、シーズン終了後にこの選手は球団を去ることになった。
9/17(金) 15:55 スパ
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad141fe1bf5c0559a162dcc2c1d4535f07358c76
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【悲報】大坂なおみが休養中なのにファッションイベント参加…センスに現地メディア酷評!
世界最大級のファッションイベント「メットガラ」に初参加した女子テニスの大坂なおみ(23=日清食品)の衣装が現地で酷評されている。
13日に米ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催された名物イベントに出席した大坂。紫や青の様々な柄があしらわれたタイトなドレスに赤い和風の帯、フリル型の黒いガウンを合わせた。目のまわりを鮮烈な赤色でメークし、髪形はおとぎ話の浦島太郎に登場する乙姫のようにまとめられたうえに両サイドが翼を連想させる形で周囲の度肝を抜いた。
有名女優やモデルなどが参加する華やかなイベントで、スポーツ界のスーパースターとして強烈な存在感を放ったが、現地の評判は今ひとつのようだ。米メディア「タイムズニュースエキスプレス」は「メットガラで最悪の服装…。大坂なおみ、メイジー・ウィリアムズ、ダン・レヴィが最悪の衣装のスターとして目を引いた」と酷評。大坂をトップ扱いで批評した。
「メンタル*の問題に対処した後、東京五輪と全米オープンで衝撃的な早期敗北に直面し、ここ数か月コートの内外で苦労している大坂が出席した」と紹介したうえで「今年のメットガラで最悪の服装のスター。彼女の奇妙なマルチカラーのアンサンブル(服の組み合わせ)でその評価を完全に失った。似合わない十字形の裾と巨大なフリルの袖が特徴的なガウンは、彼女を小さく見せてしまった」と衣装の色や形などバランスの悪さをダメ出し。さらに「大坂の髪は奇妙なプレッツェル型のまとめ髪になり、頭の両側から巨大な扇形のピースが突き出ていたため、きらびやかな有名人のイベントというよりもハロウィーンパーティーのゲストのように見えた」と痛烈にこき下ろした。
〝社交界デビュー〟は、残念ながらコート上と同じようにはいかなかったようだ。
写真
(出典 image.news.livedoor.com)
2021年9月14日 16時32分
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/20865819/
【サッカー】本田圭佑がコナミに激怒!ウイ二ングイレブンの自分が能力低くてブチギレ(# ゚Д゚)
サッカー元日本代表で経営者の本田圭佑選手(35)が2021年9月11日、自身のYouTubeチャンネル「Keisuke Honda / 本田圭佑」で生配信を実施し、
コナミのサッカーゲーム「ウイニングイレブン」における自身の能力値について物申す場面があった。
■「サッカーゲームで自身の能力が気になったことは?」という質問に回答
「緊急報告...?! 切り抜きについてもお話しします。」と題して行われた生配信は、本田選手が視聴者の質問に答えたり、相談に乗ったり、時事問題に私見を述べたりするという内容だった。
その中で「サッカーゲームでの自身の能力など気になったことやチェックしたことはありますか?」という質問が寄せられた。
これに対して本田選手は「昔、めっちゃありますよ」と即答。2012年にサッカースクールを立ち上げて実業家としての第一歩を踏み出す以前は「サッカー以外何もしていなかった」とし、
その時期に「『ウイニングイレブン』とかやりまくってたんですよ」と明かした。
本田選手は「『ウイニングイレブン』をやってる時、もちろん自分を使うわけですよね。ほんでもう、能力が低いからふざけんなと。訴えたろかなと思って。
俺の試合ちゃんと見に来いと」と言い、「まぁ、100歩譲って足が遅いのはいいよ。でも、もっとパワーとか左足のキックとかやったら、
ほとんど世界トップレベルやから、それちゃんと載せとけよ、データに、っていう。そういうのを何回もゲームやりながら、自分を使ってブチギレてましたね」と述懐していた。
https://www.j-cast.com/2021/09/13420178.html
(出典 www.j-cast.com)
【いい話】元プロ野球選手の森本稀哲氏の脱毛症のコンプレックスとの向き合い方
森本 稀哲(もりもと ひちょり、1981年1月31日 - )は、東京都荒川区出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、野球解説者・評論家、タレント、YouTuber。 1998年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから4位指名を受けて入団。2006年から2008年にかけて3年連続でゴール 56キロバイト (7,042 語) - 2021年9月12日 (日) 17:59 |
(出典 img.5ch.net)
小1で「脱毛症」森本稀哲がつらさを克服できた訳(東洋経済オンライン)
https://news.yahoo.co.jp/articles/db02fe13d960a2ad41c2a8f563e4fc6419837fd9
(前略
僕は小学1年生のときに汎発性円形脱毛症を発症し、髪の毛、まつ毛、まゆ毛が抜け落ちてしまいました。いくつもの病院に行きましたが、いっこうによくなりません。
小学校では、珍しいものを見るような目で見られたり、太陽の光を鏡で反射させて頭に当てられたり、知らない上級生から心ないことばを浴びせられたり、気持ちが滅入る毎日でした。
そうなると自然と頭を隠すようになり、当時通っていたテコンドー道場の合宿中にみんなで風呂に入ったときも帽子をかぶっていたほどです。そのことをからかわれても言い返すことができず、みんなの前では頭を洗いたくても洗えませんでした。
僕は人の視線を気にして、無意識にこそこそ行動していました。母もそんな僕を見て相当つらかったと思います。
■野球に打ち込むようになり、自信がついてきた
やがて野球に打ち込むようになり、周囲の目はさほど気にならなくなっていきました。自分の居どころを見つけて自信がついてきたのです。
帝京高校野球部に入部し、「もう髪の毛なんて生えてなくていいや。これが帝京の森本だ!」と自分のスタイルを確立しようと決意したとたん、驚くべきことが起こりました。あきらめていた髪の毛が生えてきたのです。「病は気から」ということわざがありますが、心と体は連動しています。
(後略
元ボクシングミドル級世界王者・竹原 引退後に億を超えるファイトマネーでK-1からオファー来たと明かす
竹原 慎二(たけはら しんじ、1972年1月25日 - )は、日本の元プロボクサー、現在はタレント、YouTuber、株式会社カンピオーネ代表取締役社長、竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム会長。所属事務所はオーバーレコード/太田プロダクション。広島県安芸郡府中町出身。身長186cm、体 24キロバイト (2,927 語) - 2021年9月11日 (土) 02:17 |
9/11(土) 19:56
スポニチアネックス
元ボクシング世界王者・竹原 引退後に多額のファイトマネーでK-1からオファー来たと明*
竹原慎二
元WBA世界ミドル級王者でタレント・竹原慎二(49)が11日に更新された元K-1世界王者でタレントの魔裟斗(42)と元K-1選手の武蔵(48)のYouTubeチャンネル「魔裟斗&武蔵チャンネル ムサマサ!」にゲスト出演。プロボクサー引退後にK-1からオファーがあったことを明かした。
竹原は95年12月に日本人初の日本人初の世界ミドル級王者となった。しかし96年6月の初防衛戦に敗れて世界王座から陥落。その後、網膜剥離が判明して現役を引退した。世界王者になった時にボクシング界では知られていたが、一般の人々には知られておらず、当時のK-1は華やかでみんなが知っていることが羨ましかったという竹原。そして初防衛戦に敗れて97年に引退した時に当時の協栄ジムの会長から「K-1に行け」と言われたがすぐに断ったようだ。
その後、竹原はTBSのバラエティー番組「ガ*!」の企画「ファイトクラブ」にコーチとして参加。そこで人気が出ると03~04年頃に当時のK-1プロデューサーだった谷川貞治氏から「初めは魔裟斗選手か須藤元気選手と戦って、最終的にはヘビー級で戦ってくれ」と言われ、ファイトマネーも年間2試合で1試合5000万円で提示を受けたものの「そんなんやりませんよ」と竹原は断ったと話した。するとK-1サイドから年間2試合で1試合1億の2年契約を提示されたという。
竹原は動画でK-1からのオファーを断った理由についても包み隠さず語っている。
(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)
https://news.yahoo.co.jp/articles/eda91fa4c2d958df0a8d9a24ed53c6788f2016f5